流 星
                     


響子はスーツを着ない

商売柄、ということもあるが
いまさら、世間で立ち働く人々の中に入って生きる為の費え(ついえ)を稼ぐ


人がましいことをして生きる、それがどうにもできないから

いっそ、身体を苛め抜いて生きる為の…と

この街に出てきたときにはそうも思った

けれど

どうせそのうち逝く身では

だから、こうして人の縁が織り成すタペストリーに出来たほころびや、ほつれを食い物にして
そして、毎日死んでいる

陰月のようやく春めいた、いやどこか浮薄でそのくせ重い空気が
響子の長い髪を湿らせて、響子の眉根が少し曇る

もっとも、不機嫌の理由はそれだけでは無いけれど

都心にもこんな道がある

まだ、人が休む時間では無いが、ぽつりぽつりと点いた灯り
街灯の照らす周りの明るさが、いっそ辺りの寂しさを際立たせているそんな場所

かつり、こつりと響子の立てる足音

その後から、間をおいては小走りに、間をおいては小走りにして
かすかな足音が追ってきている

そろそろ来るかしら

そう思ったとたん、響子の前に物陰から男が一人、彼女の行く手に現れる

ご苦労な事に、先回りをしに一人先行したのだろう

「響子さんですね?」
「いいえ、縁根さゆりです、お人違いですね?」

さらり、にこりと応える声音に何かを感じたか
「あ、どうも」
と男が頭を下げかける

だが

「馬鹿野郎が、そいつは食えねぇ女郎って言って置いたろうが!」
背後から掛かった声に目の前の男は、はっと目が覚めたような表情になる

やれやれ、帰ってくれないか
どうやら、少しは調べてきたらしい

とはいえ、そうして警戒してくれるなら、囲んでいる連中が
『警戒』
その意識で繋がっているわけだから、逆に言霊も効き易い

けれど

それで、それでどうする、今夜こいつらは帰るだろう

多少怖がらせてやったとしても、また、明日には現れるかもしれない

「響子さん、ちょっと大人しくして頂けないかと、そう思ってらっしゃる方が多いわけでして」
背後の男はわざとだろう、暗がりから出てこずに声だけを送ってよこす

ああ、予想通り

顧客が増えれば、高名な顧客が付けばこんなこともあるだろう、そう思っていた
いや、既に何度かこんなことを繰り返しているのだけれど

響子の沈黙をどう取ったのか
背後の男はこう続ける

「つきましては、お疲れでしょうから、引退でもして頂けると助かる、とこういうわけでして」

疲れてしまった

こういう繰り返しにいい加減疲れてしまった

だからこう言ってみる

「で、そうしないときには?」
「さぁ」

笑いを含んだ声の後
声の主以外は光の中に姿を現すが、手には、刃物

「あら、月並みね」
返す声に引かれたか
もう一人、これはご丁寧に拳銃まで持ち出してきた

「殺してくれるの?」
声音に思わず笑みが混じる

ひとり、ああ姉と呼ぶ人は一人いるにはいるが

一人こうして、この街で毎日死に続けている

もういいでは無いかとそう思う、だから

だから

拳銃の男のほうに

一歩

また一歩

どこか下のほうからむず痒い笑いが仄かに昇ってきて、自分の頬に笑みが刻まれているのがわかる

「ひっ」

あらあら駄目じゃないとそう思う
自分がどんな表情を浮かべているのか知らないが
銃口が震えているなんて

「それで撃てるの、すごく震えてる、あら、右に行った、駄目駄目、今度は左に」

銃口は右へ左へ大きく揺れる

「重いの?そう、かわいそう、あら、今度は地面に向いちゃった」

拳銃の男は脂汗を流して両手で銃を支えようとしているが
地面に向いた銃口はどうにも上げられないらしく

それどころか、周りの男たちも、その光景に耳も、眼も縛り上げられているらしい

「じゃ、替わって上げるわね」

そういって、響子が取り上げた銃を
男は心底重石が取れたように、感謝の表情まで浮かべてみせる

可哀想にね、だけど大変なのはこれからなのよ?

響子の思いを知ったなら、そいつらはどういう表情を浮かべただろうか
だが、いずれにせよそいつらは驚愕の表情しか浮かべられなくなるのだが

「本当はね、頭を撃つのが…」

くるり
みずからのこめかみに銃口を当てる響子

周りから石でも飲んだような沈黙が、雄弁な沈黙が聞こえてくる

「だけど、これでも女だから、顔の傷は、ね?」
にこりと笑う響子

そして

「ここでもいいわよね?」

心臓の位置、はずしようのない場所、でも手だけはしっかり固定しないとね

これなら、これなら楽になれるだろうか、それとも、また、とそう思いつつ

「じゃ、貴方達のクライアントさんによろしく」

ぽん

冗談のような小さな音

それより早く、衝撃、体の後ろがはぜてはじけて

そして、響子の視界が暗転する

乱れた髪
ばさらに掛かった髪は表情を隠して

流石にこの生業をしているだけあって
影に最後までいた男が響子の脈を素早く取ると

響子が握った拳銃はそのままにして、残りの男たちを促し、立ち去ろうとするが

拳銃を出した男は腰を抜かしてしまったらしく、影にいた男の舌打ちとともに
残りの連中に抱えられ、もときた闇へと消えていった

だが

闇の中から現れたものもいる

死の匂い、たった今、撒き散らされた死と、暴力の気配に惹かれて、闇の中から現れたものが

「自殺?女か」

闇から抜け出した可憐な蒼は
地面に転がる、乱れ髪の浮かべる表情も、顔すらも見る事はなかった

この街には自分のような生き物が手を下さずとも、消費され消える命がいくつもある

だから

蒼は、夜空の蒼はそのまま闇へと消えて行き

彼女の鋭敏な「感覚」が確認した死体にそのあと何が起きたのか
そして、その相手のことを知る事もそのときにはなかったのだが

闇の中

いや響子の抱える闇の中

白い手が
白い影の手がそわりと触れて

とくり、破けた心臓が

どくり、再び形を成して

どくり、どくん、どくんどくん

『痛い、痛い、痛い』

最初に来たのは痛み、痛みは生きる証、そして、許されない自分の罪の証

だから、響子は声も上げない

苦痛を訴えるような甘えは許されないことと、そう思っているから

しばらくの間、この痛みは去ってはくれまい

そして

よろりと立ち上がった視線の先

蒼い流星が

ビルの裂け目を切り裂きながら彼方へと消えて行き

「綺麗ね」

そう、その蒼さに

そのはかなさに、危うさに

響子は、まだ、自分にも動く心があるのだと

自分もまた生きているのかもしれない

痛む身体を前へ前へ

響子も流星の消えたほうへと、消えていった


これは、夜の話

まだ開かれない窓と、死ねない娘の夜の話だった


                                  流 星 了