「正餐」


 「壱之膳」

晴れた朝、絵理花は響子を抱きしめにいこうと思いついた。
久しぶりに響子の手料理をねだりたかったし。
何より、人の姿をしていても響子を愛せる自分を見てほしかった。

オートロックのインターフォンに向かって「おはよう響子さん。」
そういったとき、まだ携帯の時刻表示は10時も指していなかった。
「あら、まさかこんな時間に来るなんて。」夜行性と思う響子だが、
今起きたという感じではない。
「ごめんね出かけるところだったのよ。うーん、じゃそのままそこで待ってて。」
響子に肩透かしをされた気がして、少し気落ちした絵理花が待っていると
響子が車寄せにシルバーグレイの小型クーペを回してきた。
「おはよう、絵理花さん。せっかく朝から来てくれたのにね。でも今日は里帰りの日なの。」
「そうだ、朝から来てくれたってことは時間はあるんでしょ。よかったら一緒に行かない?」
「ドライブっていうのははじめてよね、さ、乗って。」
響子はいつもの調子なのだが響子が乗る『車』を見た瞬間から絵理花は迎撃態勢に入っていた。
「響子、それに乗れっていうの?。何よそれ。それって『くるま』?」
「あら、何に見えるの?」
「四つん這いの『けもの』。」
「うふふ、よかったわねえ。ほらね、言った通りでしょ。ちゃんとあなたのことがわかる人よって。」
「?。響子誰に話してるの?。」絵理花が警戒を解かずに尋ねると
「この子よ、あなたの言ってる『けもの』さん。」
響子は言い置いて車から降りると初対面の知人同士を引き合わせるように
「この子はね事情があって今はわたしが飼ってるの。」
「いい、この人がわたしの大事な方なのよ。あなたのこともわかる人なんだからね、ご挨拶は?」
と話したが、ややあって、『車』のアイドリング音がわずかに高くなると。
「響子、わたし『車』に尻尾振られてる。」呆れ顔で絵理花が返した。


「もう、ほんとに響子さんって人間じゃ無いよね。」
「ひどいわね。ハンターさんにそういわれると傷つくわよ、わたし。」
「どこの『人間』が、この子みたいな『車』に平気で乗れるのよ。」
高速に入った開放感からか、それとも『車』が彼女たちに安心感を与えるのか
二人の口調は滑らかになる。
「いい子でしょ、貴女にだって焼餅なんか焼いてないしさ。」
「焼餅焼いたりするの、この子って。」
「どうだろ、でも、貴女と一緒だとご主人がいい気分だってわかってるみたいね。
そのうえ、自分が生きてるってわかる人がご主人の想い人となれば嫌いになるわけ無いわよ。」
「あーあ、響子さんの話って、絶対に納得はできないんだけど。」
「あら、納得できないわけ?」
「そう、でも突き詰めようとすると怖いから流しとく。」
「そうね、それが賢い生き方よね、で、今日は何の御用だったの?」
「女子高生を拉致してからいう台詞じゃないよ響子さん。」
「拉致ねえ、かどわかすとかさらうとかもう少しロマンチックな言い方が。」
「もぉ、今日はそんな冗談じゃなくって。あっ。」
「あら、言いかけたのなら教えてよ、絵理花さん。気になるわよ。」
「ううん、もういいの。響子さんと一緒にいられるし。」
「あら、そういえばさっきは響子って呼んでくれたのに。また響子さんになってるの?」
「今日は、ええ、響子って呼べるって思ったの、。それに響子さんをううん、響子のことを
ぎゅうって…。」
「ぎゅう?」
「だ、抱きしめたいって…。」
「まぁ。」
一瞬だが響子が顔を赤らめるのを絵理花ははじめて見たと思った。


「ねえ、響子さんのおうちに行くの?」
「ああ、今日の里帰りの行き先ね。」
「うん、私、響子さんのこと、ほとんど知らないし。」
「聞かなかったわよね。それにまた、『さん』なの?」
「もう無理するのは止める、呼べるときには『響子』って呼びたい、それじゃだめ?」
「いいえ、それでいいのよ。うれしいわね、想い人さんがなんだか大人になってくる。」
「育ってから食べられちゃう?私?」
「ふぅん、どこでそんなこと覚えてくるかな。そんなに警戒してるの?真っ赤な爪が伸びてるわよ。」
「え、えっ。私、伸ばしてなんか。」おもわず、絵理花が右手を目の前にかざす。
「くくくっ。」
「も、もぉっ。」
「うふ、ということで、行き先は信州。」
「信州ってN県?」
「そうよ、でもかなりこちらに近いほうだけどね。」
「響子さんのご両親とか。」
「いないわよ。」
「あ、ごめんなさい。」思わず、かしこまる絵理花に
「いいえ、いいの、それにね。」響子はにっこりと笑う。
「それに?」
「それに、姉さんがいるもの。」
響子はそう答えると獣を駆る足に力をこめた。



 「弐之膳」

高速を降りてしばらく走ると響子は国道沿いの小さなレストランに車をとめた
店構えこそ小さいが品のいい外装が訪れる人をなごませる。
「ここって、なんだか高そう。今日、私あんまりお小遣いも持ってきてないし・・・。」
「あら、そうなの。じゃ、ここはわたしが出すから、帰りの喫茶店ご馳走して頂戴。」
「それでいいの?」
「さっきいったでしょ、無理しないって。絵理花さんが出来る事をしてくれればそれでいいの。
それに、わたしそのお店の紅茶が大好きなの。それで、おあいこ、いいでしょ。」
「うん、響子ってすきよ。」
「あら、今度は『響子』って呼んでくれるのね?」
「うふふ。」少し顔を赤らめて絵理花が笑う。
二人は姉妹のようにも恋人同士にも見えたが、二人にも互いが離れがたい相手だということ以外は
本当のところは判らないのかも知れなかった。

「いいこと、ここでしっかりお食事しておくのよ。」
「え、響子さんのおうちってまだまだ遠いの?」
「いいえ、あと30分もかからない、だけどここでしっかり食べるの。いいわね絵理花さん?」
「わかった、響子さんのお告げに従う。」
「まあ、お告げだなんて。」
「だって、やけに真剣な目。怖いくらい。いつかの満月の夜みたい。」
「あら、そんなに真剣だったかしらね?」
「うーん、真剣って言うより怖かったもの、逆らいでもしたら食べられちゃいそうなくらい。」
「わたしが食べるの、絵理花さんを? わたしを食べに来たくせにね。」

確かに響子が選んだ料理は女性二人には少し多いのではないかという品数だったし
店もレストランというよりもビストロといった体裁だったので二人が話しこんでいる間に
運ばれてきた料理もボリューム満点といった風だったが
さすがに響子が案内した店だけあって、二人はマナーが許す限りの速さで皿を空けてしまっていた。

店を出て駐車場から車を出そうとすると一台の車が彼女たちの進路をふさいだ。
「響子あの車。」
「ええ、なんだか高速の途中からついてきてたみたいね。」
「何だ気が付いてたの?」車から降りてくる若い二人連れの男たちを見やりながら
絵理花がドアを開ける。
「うふふ、まあお待ちなさいよ。絵理花さんが手を下すまでもないわよ。あんなのは。」
結局二人とも車から降りると響子が近づいてくる男たちの前に立ち絵理花をかばうようにしたのだが
かばわれているのが誰なのか、下品な笑いを浮かべた二人連れには判っていなかったに違いない。
「いい車じゃないか。それに乗ってるのが二人とも素敵なお嬢さんときちゃね。」
「放っとくのはさ、罪じゃん。」
彼らの乗る車も外国製、きている服も金はかかっている様子だが
頭の悪さだけはもうどうしようもない手合いだろう。
絵理花はこんな連中の精気は不味いのだろうなと、ほかに事を荒立てずに立ち去る方法はないかと
考えながら、響子の後ろで安心しきっている自分を発見すると、それが当然のようにも、
少し意外にも思えて、まだこの人の前に立つのは早いのかと苦笑してしまった。
「あら、丁度二人連れ同士ってことなのね。」
響子の口調には含み笑いが混じっているようだが絵理花は騙されない。
この後に何が起こるのか知らないが二人の無事を祈らずにいられないのは何故なのか、
『せっかくの日曜日に血なんか見たくないってことよね。』絵理花は内心で手を合わせた。
「話がわかるねお姉さまは。」
「じゃ後ろのお嬢さんも?。」
響子は男たちのそばまで近づくと、まず右側の男に、そして次に左側の男の耳元に唇を寄せて
ひとことふたこと囁いた。
次の瞬間二人の首がまるで人形のようにぐるりっと互いの方に向き合い
粘着質の視線をたがいに絡めあっていたが、
「ほら、ね?」そして響子が二人にそう言ったかと思うと
二人はにっと笑い合うと、もう絵理花達のことなど最初から気になど止めていなかったかのように
急ぎ足で車に戻り、互いに身体を寄せ、そしてそのまま猛スピードで走り去ってしまった。
「あらあら、何しに来たのかしらね。お二人さんは?。」
「なに、したの。響子?。」
「あら、絵理花さんお話しただけじゃない。」
「なに、した、の。響子?」
「いわなきゃ、駄目?」
悪戯を見つけられた少女ならこんな笑い方をするだろう、響子の唇には笑みが漂っている。
「駄目。」絵理花は背筋に走るものをどうすることもできない。
「ええっとね、お二人さんがさ、あんまり欲しそうだったからぁ。
そんなに欲しいんだったらおんなじこと考えてる人がほらそこにいるわよって。」
「ほかに何かしたでしょ?」
「ううん、それだけ。」
「それだけ?それだけであんなに。」
「なっちゃったみたいね。いいんじゃないの、これで誰にも迷惑がかからないじゃない。」
「響子さん怖いよ。」
「あら、何か怖いものがいるの?」わざとらしくあたりを見渡す響子に
「やっぱり食べられちゃう? 私?」小さくつぶやいた絵理花の声が聞こえていたのかどうか
二人の後ろに控えている『けもの』のアイドリング音も
しばらくトーンが下がったような気が絵理花にはしていた。


 『参之膳』

国道筋を外れ、響子は、とある川筋にそって『車』を走らせる。
舗装道路が続いているのだが全く車が走ってこなくなったことに絵里花は気が付いた。
そして響子の表情にも緊張とも真剣さとも言えない物が漂っている。
「響子さん里帰りなのにどうしてそんな顔するの。」
響子はそれに答える替わりに
「ねえ、絵里花さん一つだけ約束して頂戴。」と返した。
「なにかしら。」
響子の緊張が絵里花にまで伝わるようだ。
「これからね、姉さんと会う訳なんだけど、姉さんはとってもお料理上手なの。」
「響子さんのお姉様だから想像が付くけど。」
「まあ、わたしの料理はどうでもいいんだけど、きっと絵里花さんを連れて帰ったら
いろいろと出してくれると思うの。」
「え、でもそれじゃ、さっきあんなに食べちゃったし。」
「そう、それでいいの。」
「えっ?」
「いいこと、絵里花さん。姉さんが出してくれるお料理は、何があっても食べたり
もって帰ったりしちゃ駄目よ。いいわね、何があってもよ。」
「なんなの、まさか毒でも。」
「質問はしないで。いいわね、約束して頂戴。」
「わかった。約束する、質問もしない。」
響子を信じる、今そう決めた、だからわたしはここで殺されても
たとえ響子に裏切られることがあったとしても後悔はしない。
自分は今ここで死んだ。
捕食者として絵里花はいやフィーメルスパイダーは自然とそう覚悟を決めた。
「ありがとう、絵里花さん。」
絵里花の答えに安心したのかこの道に入ってから初めて響子が笑顔を見せた。
「うふふ、凛々しいわねぇ。可愛いさむらいさんかな、横顔が素敵。
でもそこまで覚悟を決め無くったっていいのよ、さっきの約束さえ守ればね。」
「ねえ、響子さん。」絵里花も直接には響子の話に合わせない。
「何かしら、絵里花さん。」
「うん、響子さんのね。」
「あらわたしの?」
「うん、響子さんのお姉様ってなんて仰るの?」
「ああ、姉さんの名前ね?」
「ええ、まだ教えてもらっていないし。」
「あらそうだったわね、『ひろこ』って言うのよ。」
「『ひろこ』さん?どんな字を書くの?」
「もうじき判る、すぐにね。」
間もなく『車』は小さな村落に入った。

村落に入る直前から絵里花の口が閉じられる
鋭敏なフィーメルスパイダーとしての感覚が絵里花に緊張を強いる。
もしも、響子が一緒にいなければこんな所に立ち入らないだろう、
『ここは、いけない。居ちゃいけない所よ。』
いやそれどころか、この村に近づくこともしないだろう。
ちりちりと何かがフィーメルの『感覚』をなで上げる。
それに『けもの』も先程からここに入るのを嫌がっているような気がする。
響子が隣にいなければ、もう、すぐにでも『擬態』を解いて、爪でも伸ばしておきたい。
いや、すぐにでも『擬態』を解かないと、ここはまるで・・・。
「大丈夫よ絵里花さん。危なくなんか無いから。」
響子の言葉にはっと絵里花は我に返った。
「響子、だってここは。」
「なんでもないわよ、絵里花さんが敏感すぎるから引っ掛かっちゃうだけ。」
「引っ掛かる?」
「ここで、前にちょっとね。その名残が絵理花さんやこの子には判るってだけよ。」
「前に? じゃぁ今は、なにもないって言うの?」
「うふふ、ここでね、怖い物は一人しかいないのよ。」
「一人?それって。」
そして響子は村はずれの鳥居の脇に『車』を止めた。

鳥居には『紘宮社』と読める古びた額がかかっている。
「なんて読むの、『こうぐうしゃ』?」
「偉い、偉い。そうよ『紘宮社』、ね、判ったでしょ?」
「え、なんのこと?」
「だから姉さんの名前よ。」
「え?」絵里花はしばらく考え込んでいたが
「あ、そうかひろこさんってこの字を書くのね、ひろ、こう。そうね?」
「はい、正解よ。」
「ねえ、ここが響子さんの?」
「うふふ、わたしのおうちなの。」
『似合わないわよね。』そう内心で呟きながら絵理花は響子の後に続いた。

    ******   

独りで社殿に座っていると物陰から何かが押し寄せてくる。
もちろん幻想なのだが、相当に覚悟を決めている絵理花でさえ、まだそんな幻想を捨てきれない。
別に、怪しい気配はしない。
むしろ村の中より、この社域の中のほうが間違いなく清浄な空気がある。
第一、まだ日中で光がこの社殿の中にまで及んでいるのだ。
しかしここにつくまでに響子が念を押した約束と、この社殿で先ほど対面した
女性が先ほどから絵理花を落ち着かせないでいる。
「『斎王様』、か。」
思わず呟いてしまって絵理花はその語感に自分でギョッとしてしまった。

『「いいこと、姉さんは料理好きだからきっといろいろ出してくれると思うけど絶対に食べたり、
もって帰ったりしちゃだめよ。」』
『「絵里花さんが敏感すぎるから引っ掛かっちゃうだけ。」』
『「うふふ、ここでね、怖い物は一人しかいないのよ。」』
『さんざん人を脅しておいてそのうえに、「ただいま帰りました斎王様」なんだから。』
今度はちゃんと口に出さなかったわよね、といちいち確認している自分がなんだか恥ずかしい。
『でも、きれいなひと、それに重ねの着物なんて始めて見たものね。』
さすがに十二単ではなかったようだが歴史の授業で見た絵巻物そのままの女性と
先ほど自分が対面したのだと思うとなんだか信じられない気がする。
『しゃべり方だってなんだかすごく時代がかってたし。』
『ええっと「響子、よく戻りました。すれど、そなたの伴いし、小さきものは、たれぞ。』だって。」
『で、「わたくしと誓いを交わせし者にございます。」、うーん、たしかに私、響子さんと。』
そこまで追想したとき、社殿の奥から2度、そしてさらに1度拍手(かしわで)が鳴った。
『あれ、神社の拍手って二回じゃなかったっけ。変なの。』と絵理花が考えていると社殿の奥から
響子が戻ってきた。
「お待たせ、絵理花さん。一応奥はわたしと姉さんしか入れないことになってるの。ごめんね。」
「ううん、それはいいの。」
「何も出なかったでしょ。」
「さんざん脅かしたくせに。」
「出てほしかったのかしら?」
「形の無い物は苦手。」
「はいはい、それじゃお家のほうに行きましょ。」
「え、ここがお家じゃ。」
「さすがにここには住めないわよ。ほら、社殿の左手にも一軒建物があったでしょ。」
「なんだか社務所みたいな建物だったよね。」
「ええ、姉さんもじきにそっちにくるからさ。」
二人は別棟の響子がいう「住居」に向かった。
さすがに、先ほどの社殿に比べれば新しいのだろうがそれでもかなり年代がかった建物だ。
それに、かなり最近手を入れたらしい棟がひとつ裏手に継ぎ足されている。
響子はそちら側にこれも最近追加されたらしい入り口から絵理花とともに「住居」に入った。
その入り口にしても相当に大きいし、最近の日本建築風の住宅に比べればずいぶんと立派なものだ。
「わたしが住んでたころはこの棟がわたしの棲家だったわけ。」
「棲家って、なんだか変な言い方。」
「うふふ、まあね。だあれもここには入ってこなかったしね。」
「え、ご両親とか。」
「だから、わたしの両親はいないの。」
「えっ。だって。」
「わたしはここの養女。」
「え、じゃ、お姉さんも?」
「紘子姉さんは違うわよ。」
「じゃあお姉さんと響子さんって血が繋がって…。」
「うーん、まあ遠い親戚に、なるのか、なぁ。」
どうも姉のことになると響子の発言が曖昧になる気がする。
『響子の棲家』の中は思っていたよりも現代的だ。
なにより、響子に案内された部屋はとても日本家屋の中にある部屋ではない、というよりも
響子のマンションにそっくりなことに絵理花は気がついた。
「気がついちゃった?姉さんは、まずめったに出歩かない人だからね。」
「それで、響子さんのお部屋と?」
「ここにいつも一人でしょ、気分だけでも、とか思ったの。」

「あらためまして、いらっしゃい。よく来てくれたわね絵理花さん。わたしが紘子、響子の姉です。」
後ろから声をかけられて振り返った絵理花の前には
白いシガレットパンツとやはり白いホルターネックの女性が立っていた。



 『肆之膳』

「あ、あの。」いったきり絵理花は次の言葉を出せない。
「ほらね、姉さん急にその格好はびっくりするっていったでしょ。」
「あら、それじゃ重ねを着たままでここに来た方が良かった?」
「だから極端すぎるのよ。」
「だって、せっかく響子が送ってくれた服だもの。
響子にだって、絵理花さんにだって見せたいじゃない。どう、絵理花さん似合わない?」
「あ、いえ、ちょっとさっきと印象が違っちゃったから。とっても良くお似合いです。」
「ありがとう、うれしいな。ここに響子以外の女の子がくるのは、本当に久しぶりなの。」
紘子は頬に両手を添えて恥ずかしげなそぶりをしてみせる。
そんな様子を見ると先程「斎王様」と響子に呼ばれた人とこの人が
同一人物とはとても思えなくなってくる。
だが、絵理花は、先程、初対面の時に気が付いた「ある事」をもう一度この明るい部屋で検めていた。
「ね、今日は遠くからきてきっとお腹が空いてるでしょ、すぐに用意をするからね。」
和みかけた絵理花の脳裏にさっと走るものがあった。
思わず響子の表情を伺うが、先程の姉との会話の時と何も変わってはいない。
仕方なく、辞退の言葉を作ろうと紘子の方を振り向いた時には、もう紘子が料理を並べ始めていた。

「あ、あの。」
「さ、遠慮しないで召し上がってね。」紘子の顔には、何の邪気も感じられない。
「ごめんなさい、姉さん、でもわたし達、さっきお食事済ませてきてしまって。」
「まあ、響子ったら途中でお食事なんて。気が利かないのねぇ。」
「ごめんなさいね、姉さん。きっと絵理花さんの分までなんて無理だとおもったから。」
「そんな事ないのよ、ほらこんなに作っちゃったの。」
ふと食卓を見直すと、先程よりも料理がさらに増えている。
しかも、彩り、匂い、盛り付けと最高の手際に見える。
食卓から流れる芳香が絵理花をくすぐる。

「ね、絵理花さんわたし、あんまり趣味がないから、せめてお客様に少しでもご賞味して欲しいの。」

『響子とあんな約束するんじゃなかった、だってこんなに…。』
『約束なんてもう、だってせっかく紘子さんが。』
『約束なんて…。やくそく、やくそくぅ?』
『「約束してね。」』
絵理花は心の中で小さく悲鳴をあげた。

食卓の向かいに親わしげな紘子の笑顔がある。
これが、料理を並べられる前ならば、そして非礼な言葉を投げてよいならば。
だが、もはや、いや最初から退路などなかったことを絵理花は理解する。
紘子に微笑を返しながら、絵理花はここが自分の最凶の戦場だと確信した。

視界の端で響子が拍手をするようなしぐさをしてみせる。
『面白がっているのね、あんな約束させておいて。』
ここは一人で切り抜けるほかにないのだろう。

「ありがとうございます、本当においしそう。
でも私、新体操をやっていてカロリー制限があるんです。ごめんなさい紘子さん。」
我ながら苦しい言い訳だがこうなったら仕方がない。
だが、紘子は。
「そうなの、絵理花さん。でも並べたお料理はみーんな低カロリーよ、お味見だけでもしていって。」
と、余裕の言葉を返してきた。

絵理花の背中には冷や汗が流れている、紘子にも見えているのかいないのか、だがもうどうでもいい。

「えぇっ、そうなんですか? 残念。」
「え?」
「わたし、カロリー制限があるのは、実はとっても食いしん坊だからなんです。」
「ええ、じゃ、少しでもどうぞ召し上がって。」
「はい、でもそうするときっと食べ過ぎちゃうんです。だから食べずに我慢します。
紘子さん、本当にごめんなさい。」これでもう許して欲しい。

「あら、そんな事じゃ自己管理なんか出来ないわよ。味見だけでいいのよ。だから、ね。
それにね、一人っきりじゃ感想を言ってくれる方もいないから寂しいの。」
紘子が手を握り合わせてすがるような視線を送ってくる。

こうこられるのが怖かった、しかし一体何度こんな事を。
そう思ったときにまた響子が拍手するしぐさが目に入った。
拍手、はくしゅ、拍手…、かしわで、神社なら2回、ここでは…3回?。
ここまで何回?
2回、そうあと1回でいいんだ。

と、安堵した瞬間にもう何も考えつかない自分がそこにいた。

ど、どうすれば。
なんだっていいんだ。
それももう、あと、たった1回で。
でも、でも。
もう何にも思いつかない。
ここから逃げ出したい。
なんだってこんなことに。
今朝は響子をぎゅうってしたいってそれだけだったのに。
それだけ…、ぎゅうって、それだけで、それだけ?

「ご、ごめんなさい紘子さん。で、でも私。」
「あらどうしたの。」
「はい、今日はわたし響子さんと一緒に居たけど…、でも車だっだし。」
言いながら絵理花の頬が紅潮する。
「?」紘子も怪訝な顔をする。
「だから、だから、はやく、すこしでもはやく、響子さんと二人っきりになりたいんです。」
「え?」
「だから、ごめんなさい。お食事できません。」

最後の言葉を言った時、絵理花はどこかでなにかが、鍵穴に嵌る音が聞こえたように思った。

「響子、いらない知恵をつけたわね?」
紘子の言葉は非難をしているが、目は笑っている。
それに何よりも先程突然この場を占めた緊張が今は霧散してしまっている。

「うふふ、ごめんね絵理花さん3回ちゃんと断れたじゃない。じゃ、これは片付けちゃおう。」
先程あっという間に並べられた料理の数々がまたいつのまにか食卓から姿を消していた。

「あ、あの。私が勝手に失礼なことしてるんです。響子さんは何も…。」
「いいのよ絵理花さん、たとえ響子に知恵をつけてもらったにしても。
それは、響子がそれだけあなたを想ってるからでしょ。
それに、ちゃんと自分の言葉で断ったじゃない。
とはいえ、最後のは…、まあ、おまけにしておくね。」
絵理花の頬はもう一度朱に染まった。

「あの、さっきのは一体?」
紘子は質問に答える代わりに。
「さ、じゃあ響子との誓いのしるしを見せてちょうだい。絵理花さんの右手にあるでしょ。」
絵理花は思わず響子を見るが、響子は微笑んでかぶりを振った。
「言ってないわよ絵理花さん。姉さんはね、こういう人なの。」
「どういう意味よ響子。もぉ。さ、見せて。」

先程。響子は食事の事は念を押した、だがこのことは何も言っていない。
絵理花は素直に右手を差し出した。

「ちいさがたな。そう、小さいつるぎで誓ったのね、見せてちょうだい。」
絵理花は今度は響子を見る事もせず、紘子の手を傷つける事の無いように注意しながら
深紅の爪を伸ばして見せた。

紘子は両手で爪を捧げ持つようにすると
「祝詞(のりと)を上げてもいいけれど、今ここにいる3人が判る言葉の方がいいと思うの。」
そう言うと軽く目を瞑って言葉をつむぎだした。

「この剣が、折れず、曲がらず、そして剣に交わされた誓約が過たず果たされるように。」
ことばが終わった瞬間、絵理花は爪を通して何か大きなものと自分が触れ合った事に気が付いた。

「どうかしら、響子。これでいいのね。」
何があったのかは絵理花の理解の外だった、だが、今紘子が自分のために
何か大きな物をくれた事だけは、はっきりと判ったので
「斎王様、ありがとうございます。」と、頭を下げた。
「可愛い子ねぇ、一度覚悟を決めたら信じる事も素直に礼をする事だってできるのね。
ねえ、響子に飽きたらわたしのところにこない?」
絵理花が真っ赤になって今度こそ言葉に詰まると
「ダメよ、絵理花さんは私だけがぎゅうって・・・。」響子は言うと絵理花を後ろから抱き寄せる。
そのとき、絵理花は響子から今まで響子が絵理花に見せた事のない感情が伝わってくるのを感じた。
なんだろう、嬉しい顔、これは知っている。
怒った顔、少し違うのかもしれないけれどいつかの満月の時、顔は笑ってたけれど…。
穏やかな顔、これだって知ってる、二人で過ごす時間に見てる。
じゃ、これは?
見たいけど見てはいけないのだと絵理花は思った。
「だけど、そうよね、姉さんならわたしも安心かな。」
もうさっきの感情の波は消えている、しかし絵理花は言葉に詰まってしまった。
「きょ、響子さん。」
「うふふ、冗談よ。」
絵理花から離れて響子が紘子の肩に寄り添って言葉をかける。

そしてようやく3人は揃って談笑の座についた。


 「伍之膳」

3人でする話しは楽しかったが、絵里花を何よりも驚かせたのは、
紘子がネットでHPを立ち上げているという話だった。
聞けば、そのHPは絵里花でさえもサイト名を知っている
少女達の間でもほとんど伝説になっている占いサイトだった。
「あら、知ってるのわたしのホームページ?」
「はい、『Rock on Shrine(標的神社)』でしょ。
あそこの占い毎日見てるって子がクラスに何人もいます。
それに、普段はアップされない、特別なお告げのページがあって、
特別な悩みのある人にだけ『お告げ』が読めるんだって。
そこを見たらどんな悩みでも解決するって。
だれ宛って何にも書いてないのに、自分宛としか思えないメッセージが書いてあるって、
そんな噂が立ってます。」
「あはは、あれはたまにわたしが落書きをアップするだけよ。
その時にわたしが、思いついたことを適当に書いてるだけなの。」
紘子は簡単にそういうが、紘子が書いた「落書き」ならば、きっと自分が知りたくないことまで
教えられてしまうのだろうと想像できた。
「それに、管理人のrokoさんもすっかり伝説の人になっていて。」
「あら、そうなの?」
「はい、13歳の美少女だって、友達の友達が会ったんだとか、いや中年の男の人だとか
それから…。」
「それから、なあに?」
「は、はい。あの300歳は超えてるだろうって言う人も、あっ、あの、ごめんなさいっ。」
目の前にいるのがその噂の人だと思い出した絵理花はまた頬を染めたが
絵理花の最後の発言に紘子と響子は顔を見合すと怪訝な顔をする絵理花をよそに
声をあげて笑いあうのだった。

「絵里花さんならきっと『お告げ』とやらが見えるわよ、また覗いてね。」
「はい。」と返事はしたが、伝説の管理人rokoさんがこんな人なんて
嵌りすぎていて、きっと誰も信じないだろうなと絵里花は思った。

紘子はやがて
「さ、そろそろお開きにしましょうよ。東京まで長いでしょ。
それに、早く二人っきりにしてあげないとね。」と2人を促した。
もう一度頬を染める絵理花に、紘子は
「携帯電話、もってるかしら?」と、聞いてきた。
「はい。カメラとか何にも付いてませんけど。」と絵理花がそれを見せると。
「ちょっと貸してね。」と受け取って、なにか入力を始めた。
「はい、これでいいわよ、わたしの番号なの。本当に困ったら何時だって構わないから掛けて来て。」
と、絵理花に返してよこした。
「姉さん、いいの?」響子は珍しく驚いている様子だ。
「構わないに決まってるわよ、響子の想い人さんですものね。それに。」
「それに?」
「わたしも気に入ったもの、絵理花さん。」
「良かったわね、絵理花さん。」
「あ、はい、ありがとうございます。」
何がよかったのかは知らないが、ともかく絵理花は素直に礼を述べた。

鳥居の前まで見送りに出た紘子に手を振って、絵理花は『車』に乗り込んだ。
心無しか、「けもの」はここを離れるのが嬉しそうでもある。
やがて村から離れて国道筋まで戻ったときに絵里花はお昼のときの約束を思い出し
響子を促すと二人でお茶を愉しんだ。

「素敵な人だった、紘子さん。やっぱり響子さんのお姉様って気がする。」
「あら、じゃあ姉さんのご希望どおりにしてあげれば。」
「できるかしら。」
「絵里花さんなら大丈夫でしょ、何より姉さんが絵里花さんを気に入ってるもの。」
「でも・・・。」
「あら、わたしに遠慮?」
「それもあるけど・・・。」
「あら、なにかしら?」
「だって、紘子さんって影がない人ですもの。」
「えっ、いつ判ったの。」
「最初から。社殿の中で初めて会ったときね。」
響子が驚いたまま言葉を無くしている、今日は珍しい物を随分見るわねと絵里花は思った。

響子が返事できずにいるのを汐に絵里花は支払いを済ませてとりあえず『車』に戻ることにした。
無言のまま「けもの」を駆る響子に
「ねえ、響子さん。どうして私のためにあんなに色々してくれるの?」と尋ねると
「あら、なんにもしてないわよ。」とやっと響子が返事を返す。
「うそ、今日の里帰りってわざわざ私を紘子さんに会わせるためにしてくれたでしょ。」
「・・・」
「響子さんにそんなにしてもらうけど、私、何にもしてあげられないよ。
ちっとも大人になれないし。
だから、響子との約束だって。
だから、だから今は。
ねえ、車を止めて響子。」
「どうかした?」
「いいから止めて。」
響子は非常駐車帯に「けもの」を寄せた。
「ドライブって嫌い。」
「けもの」がわずかに不満の声を上げる。
「ごめんね『けもの』さん、あなたが悪いんじゃないの、あなたのことは好きなの。
でも、運転中には、こう出来ないから、今だけ目を瞑っていてね。」
「・・・だから、だから、今できるのはこれだけなの。」
言うと絵里花は響子を抱きしめた。

「絵里花さんにはちゃんとお返ししてもらってるのよ。」
抱擁の後再び「けもの」を促した響子が答える。
「だって、わたしを訪ねてくれる。わたしをぎゅうってしてくれるじゃない。」
「それは・・・響子が好きだから。」
「人殺しのわたしをね。」
「私だって。」
「あなたは違う、生きるため、生きる手段を確かめるためにしたんでしょ。
わたしは違うの。」
今度は絵里花が黙る番だった。
「いいわ、姉さんに影がないのに気が付いたのよね。
だのに、姉さんとお喋りしてくれた。
絵里花さんには教えちゃおう。わたしがどんな人間なのか。
わたしが何をしでかして、それでも死にもせず生きてる卑怯者なんだって。
それでもわたしをぎゅうってするのかな、いいえできるのかしらね。」

夕暮れと響子の独白が車内にも昏い何かを呼ぶようだった。



  『陸之膳』


「・・・この神餐をもって、新巫女を斎王様に捧げる証とし、
斎王様よりご返納される、新巫女を二代の妻となし
次代も変わらず、斎王様を当地に祀りさせ賜わん。
我等は斎王様の氏子にして斎王様を護り囲みし者なれば・・・。」
厳かであり、どこか猥雑な婚礼の最後に当代が、宴の真の目的である呪魂を述べる。
そして正餐が終われば新巫女は斎王から返納された斎王のこの世における代理となり
その娘を妻として娶り、この地に住まいつづける限り、
この地に斎王は留められ、この地に力をもたらす。
そうして続いてきた村だった。
そして次代の巫女に、斎王と交感できる者が就く事で更に斎王をこの地に留める
呪力の効果が持続する、そうなるはずだった。

「ぐっ・・・。」
「かっ。」
しかし呪言の終わりと同時に神餐を食した新巫女と、その夫になるはずの二代の二人は
口からこぼれた鮮血の中にくず折れた。

我が娶るべき巫女を汚せしはたれぞ、我をここに留めしものの末裔か・・・。

白い人影が座の中央に現れた。

「さ、斎王、・・・。」
「斎王様・・・。」
「おぅ、あ、あぁっ。」
声をあげるもの、祀られた神の名を呼ぶもの、そして祀られた神の名が実は
災厄を呼ぶ力でもあることを思い出し言葉をなくすもの。
しかし、座の誰もが中央に現れたものは何なのか、はっきりと悟って
その場に凍り付いてしまっている。

われに、汚された巫女を捧げ、神餐を交わそうとは・・・。
・・・、巫女を汚せしものは、ここで果てたか・・・
・・・、果てていなくば、このものに・・・
されど、すでにわが身を縛るものもなし・・・
われはこの地にはとどまらぬ・・・
われをこの地にとどまらせたる呪いの報いを見るがよい・・・

白い影が消える、そしてそこにありとあらゆる方向から生臭い風が
白い影が占めていた場を埋めようとでもするかのように吹き込んだ。

あるものはこの世ならぬもの、この世ならぬ場を見たともいい
また、異形が正餐の場で跋扈するさまを見たといい
そしてまた多くのものは、介抱も受けず、口と下腹から零れる血で濡れた異形の花嫁が
村からよろめき出ていくのを見ていた。

そして長い夜が明けた次の日から、2組3組、そして次々とこの村から
人々が立ち去っていった。
後に残ったものはかつて村を統率した当代とその後を継ぐはずの二代の新墓であった。
当代は斎王の顕現を見て恐れのあまり死んだとも、
また、次代の犯した罪と斎王を解き放った責を負って縊死したのだとも
もしかつての村の住民の重い口を開かせる事が出来たならそんな結末が聞けるかもしれない。
しかしもう村の事を語りたがるものはいまい、
そしてその村は消えた。


と、いうわけなの。
え?
そうよ、わたしがやったの
本当はわたしとそいつ、この二人で済むと思ったの
あの村ごと、姉さんとわたしのしがらみ、みーんな
と、思ったの
…ええ、まさか妊娠しちゃってるとはねぇ。
だからいったでしょ直接2人、未遂が一人、あとはまあみんな間接よね、でも当代様は
直接なのかもねぇ。

え、どうやったのかって?
わかるでしょ?
うふふ、そう、そうよ、姉さんにお料理作って頂いたの。
お嫁さんになる前に最後にお姉さんとお飯事したいのって言ってね
で、それをこっそり神餐と取り替えてやったの。
姉さんのお料理って何しろ素材がこの世のものじゃないのよね。
それにここに縛り付けられてる1000年分の恨みとかそういうものが篭ってるでしょ。
それをね、この村全体の「ハレ」の宴席、つまり正餐の席で食する。
その事自体がものすごく大きな呪術になったのねぇ。

え、姉さんが気が付かなかったのかって、
気が付いてたに決まってるでしょ。
でも姉さんは3度拒否するものにはもう勧めないけれど
もってかえるものには別にねぇ。

姉さんのこと?
うーん、姉さん自身も自分の事はよくは憶えてないって言ってるしね。
でも、1000年以上、いいえ1500年とかそんな昔の事かしら
「神様」を創っちゃった人たちがいたのね
敵対する人たちが祀ってる「神様」を鎮める為なのか
それともお食事作らせて敵対する人たちに、わたしがしたような
呪術を行ったのか、それともその両方なのか。

え、そんなに嫌だったのかですって?
正直に言うとね、別にどうでもよかったの
だって、ここにいるって言う事は
姉さんと一緒にいるって言う事でしょ
ちっとも苦じゃないと思ってた。
なんと言ってもここに養女になって生きて来たってね、義理とか感じてたのよ。
それをさ、「使用人の癖に…。」って言われたの
婚儀が終わるまではっていったらさ。

で、そのまま、ね。うふふ。
え?抵抗できたでしょうって?
ずーっとね、そいつはわたしを待ったのかもしれないけれど
わたしは、毎日その日に向けて自分を少しずつ絞め殺してるつもりだったのよねぇ
そこに、そんな事いわれるのかなって思ったら
もうどうでもいいやってね。
でも、でも許せなかった
今でも許しちゃいないわよ。
まってた、もう待てない、いいえ、我慢できない、それでもよかったの
自分の気持ちを言ってくれればね。

ふぅん
今日はいろいろ聞くのね、いいわよ、何でも答えてあげる。
ええ、どうしてわたしが死なずにいるかって事ね
時々、本当の自分はあそこで死んでて
今、この世って言う地獄で救われもせずにうろうろしてるんじゃないのかってね
そんな風に思ったこともあるわよ。
憶えてるかしら絵理花さん
初めてあなたに声を掛けた事
ええ、あんな風にね、姉さんが
「こんな事じゃ死ねないわよ、響子」って声掛けて来たのよね。
そうか死ねないのかって思ったらぽっかりこの世に浮かび上がってきちゃって
それっきり。

で、仕方がないじゃない
わたしは東京に出て
大学の時とかにちょっと係った人の手づるとかね
それで今の商売を…。
そうしたらね、或る日、姉さんが電話を掛けてきて
一度逢いにおいでよってね。
もう今はだあれもいなくなっちゃって
逆に自由になったからここを仮住まいにしてるからってね。

え、そうよ、今話してあげる。
村を出てからね、死のうかなってね
何度か思って試してみたの
でも出来ないのね
どうやら自分じゃ死ねない身体になっちゃってるみたい
「斎王様」の呪がかかっちゃったのかしら?
首吊った筈なのに、目が覚めると、ちゃんとベッドで寝てるしね
手首を切るとね、血だけはどんどんあふれてくるくせに痛いだけで、
ちっとも楽にはなれないの、
そのうち傷も勝手にふさがるし
列車にとか思ったら
手前で勝手に脱線する始末。
もうその辺で気が付いたから
他人に迷惑掛けるような自殺の方法試すのも億劫になってね。
で、それをいいことに、おめおめと今でも生きてる
商売してるとね、殺されかける事だって
あった癖にさ
そうなると今度は相手を叩き伏せたりもしてるよねぇ
あはぁ、
絵理花さんに余計なお説教もしてるね。

ふふん、案外絵理花さんに殺してもらいたくって近づいたのかもね。
自分ひとりじゃ死ぬことも出来ずにいるからさ
わかったでしょ
だから、卑怯な人殺し
絵理花さんに抱っこなんてね、そんな価値は無いのよ。

駄目よ、だぁめ。
今は何かを言っちゃ駄目
絵理花さんの事だから、気にしないとか何とかいう気でしょ。
それは、駄目よ。

さ、もうお家の近くよね。
今日は本当にお疲れ様。


「けもの」が緩やかに速度を落とす。

空はすっかり暮れ果てて、広がる明かりが二人を街に迎え入れた。


「留之膳」


「じゃ、今夜はここで。お寝みなさい、絵理花さん。」
絵理花を降ろすとそのまま響子は走り去ってしまった。
自宅に帰り自室に入った絵理花は今日見たこと知った事をどう整理していいのだろうかと
窓から新月の鎌を眺めていた。

今夜もう一度響子に会いたいと思う、響子の背負うものを分かち合いたい、
でもそれは自分には不遜な思いなのかしら。

ならせめて、今夜一緒にいて、ただ抱きしめていたい。

でも自分が近づけば、きっと響子はいつもの響子。

響子が自分を縛り付けたくないと思っている、それは判っている。

でも、だからこそ一緒にいられる間はせめて分かち合うものがあってもいいのに。

今夜こそ闇の力を借りたいと思った。

自分が纏う闇が響子の目からさえも自分を隠してくれたなら。
しかしそれはかなわぬ事なのだろう、今夜響子に演技を強いるくらいなら
会わずに闇を抱きしめている方が…。

そこまで考えた時に携帯に着信があった。
こんな時間に、誰なのとディスプレイを見れば表示された名前は…。

「今晩は、絵理花さん、今日は何のおもてなしも出来なかったわね。」
「あ、あの。こちらこそ、さ、さいお、いえ、あの紘子さん。」
電話の向こうから響子の忍び笑いを思わせる紘子のそれが伝わってくる。

「緊張しなくっていいわ。
さっきは、わたしに影がないって知っててちゃんとお話してくれたわね。」
「え、あの、響子さんがお話しちゃったの?」
「いいえ、わたしにもわかっていました。さすがは響子を愛人さんにしてくれる子よねって。」
「あ、あれは響子さんがそうしてって、きゃ、わ、わたし。」
「うふふ、ねえ、絵理花さん。」
「は、はい、なんでしょうか?」
「本当に響子を楽にしてくれる気がある?」
「楽に、ですか?」
「帰り道で聞かなかった? 響子がここから出たときのこと。」
「聞きました。それで、そのまま別れちゃったから。」
「そう、じゃあ、意味はわかるのよね。」
絵理花はこの人になら今の思いを伝えても構わない、いや
このひとに今は甘えたい、そう思った。
「紘子さん、わたし、響子さんは死にたいと思ってないと・・・。」
「あら、そう思うの?」
「はい、今はなんだか死ぬ理由の方を探してるんじゃないかって。」
「あら、じゃあ響子は始末しないの?」
「いいえ、します。でもそれは響子さんの為にじゃなくって…。
響子がわたしの獲物だからです。
いけませんか『斎王様』。」
「くくく…獲物、ね。」
電話の向こうから忍び笑いが聞こえてくる。
きっと電話を握る紘子は重ねを着ているに違いない。
何故か、あの社殿から片鎌の月を眺める重ねの女性の姿が絵理花の脳裏に浮かんだ。

「ほんとうに、素敵な狩人さんね。わたしも愛人さんにしてもらおうかしら。」
「うふ。だめです、一人で精一杯。」
「そうかもしれないわね、だって今夜は力不足で悩んでるものね。」
「え。どうしてそんな・・・。」
「どうして判ったのかなんて聞かないでね。」
「は、はい。」
「いいわねぇ、素直な子は好きよ。」
「からかってます? 紘子さん。」
「あら違うわよ、その証拠にね、今夜は悩んでる狩人さんに、サービスしてあげる。
本当に困った時には、また電話してらっしゃい。」
「あ、あの、サービスって。」
「闇をあなたに貸して上げます。あなたを隠す闇をね。」
「さ、斎王様。」
「いいこと、今夜わたしと繋がった、この携帯を身に付けてお行きなさいな、
ただしサービスするのは今夜だけ。
この後もできるように成れるのか、それはこれからのあなたしだい。
じゃ、あとはよろしくね。」
それだけいって電話は唐突に切れてしまった。

響子は今夜も月を眺めている。

彼女が想い人を持つようになってから窓を閉めた夜はない
しかし、さすがに今夜は彼女がくる事は…もうないだろうし…。
『今宵は月に対して影と3人を成す、かしらね。』
このまま、眠ってしまってもいい
響子がそう思ったときに電話のコール音がなった。

ディスプレイには響子の想い人の名が表示されている
窓に背を向けて
「あら、絵理花さん、心配して掛けてくれたのかしら。大丈夫よ今から寝もうって。」
「そう、でもね響子、今夜は眠る暇なんてあげないんだから。」
その答えは響子の後ろから聞こえた。

思わず振り向いた響子のおとがいは伸ばされた指先に捕らえられ
想い人の唇がそっと響子の唇に重なった。


                『正餐』了